エッセイ
「禅と骨」とミトワさん
(2017/09/02 映画「禅と骨」パンフレット掲載)
私とミトワさんの接触は、さほど多かったわけではない。禅寺では毎月朔日と十五日、「祝聖(しゅくしん)」といってこの国の安泰を祈る儀式を法堂(はっとう)でするのだが、天龍寺の雲水だった私は列の後ろのほうから向かい側に立つミ […]
うゐの奥山 第64回 こころの好縁会
(2017/08/31 東京新聞ほか掲載)
正確には覚えていないがおそらくここ数年以上、「こころの好縁会」と銘打った講演や対談の催しに毎年招かれている。主催が岐阜県の大興寺(だいこうじ)さんと中日新聞社であるため、これまでは中部地方で開催されることが多かった。岐 […]
日曜論壇 第76回 「言った」「言わない」
(2017/07/30 福島民報掲載)
結婚して数年の頃か、「言った」「言わない」という論争ほど無益なものはないと悟り、記憶を頼りに正しさを主張するのはやめにした。どちらかの記憶が間違っていることもあるが、人の記憶はもともと曖昧なものだし、時と共に変質もする […]
日曜論壇 第75回 危うい優生思想
(2017/05/28 福島民報掲載)
デザインベビーという言葉が使われるようになって久しい。アメリカではノーベル賞受賞者の精子を高く買い、美人でグラマラスな女性の卵と受精させる、というのもあながち冗談ではないらしい。 神への冒涜、あるいは自然への挑戦と言 […]
日曜論壇 第74回 さよならキヱさん!
(2017/03/26 福島民報掲載)
3月16日の朝、お寺に一本の電話が入った。私をこの世に取り上げてくださった産婆さん、渡邉キヱさんが亡くなったのである。行年は103歳、みごとな大往生であった。 それは昭和31年、4月28日の夜遅くだったらしい。産婦人 […]
「ひよわな国」と移民の問題
(2017/03/20 やくしん掲載)
イギリスがEUという単一市場からの完全撤退を決定した。移民の問題が一番の要因だったようである。相互の人の流入を制限しないシェンゲン協定の方針にも同意せず、イギリスは物の出入り(貿易)だけは維持したかったわけだが、「それ […]
地方自治と脳の仕組み
(2017/03/15 地方議会人掲載)
通信網の発達により、地理的な距離が人間どうしの距離を意味しなくなってきた。遠くに住んでいても、ネットでの通信があるから親密な関係が保てると思いがちである。 しかし我々の頭には、やはり物理的な距離の遠近がどこかに意識さ […]
見えない輪
(2017/03/01 ノジュール掲載)
滝桜に向き合うと、私は時に「見えない輪」を二つ感じる。謎をかけるつもりはないので申し上げてしまおう。「見えない輪」とは、一つは年輪、もう一つはその子孫樹が描く巨大な円のことである。 まず年輪だが、当然ながらこれは伐ら […]
日曜論壇 第73回 「つぶやき」のヘイト政治
(2017/01/22 福島民報掲載)
いつから人々は、なにかを嫌うことを権利として認めるようになったのだろう。しかも私的な場面ではなく、公の場での話である。 思うにそれは「嫌煙権」という言葉からではなかったか。 好きとか嫌いというのは価値判断というより […]
鍋の功徳
(2016/12/01 てんとう虫掲載)
冬になると、鍋を囲みたくなる。鍋をつつくでも、鍋料理を頂くでもいいのだが、やはり鍋といえば「囲む」という言い方が似つかわしい。独りで囲むことはできないから、そこには当然家族の団欒があり、また客との交歓がある。 以前、 […]
うゐの奥山 第56回 南山に雲起こり……。
(2016/11/30 東京新聞ほか掲載)
禅語に、「南山に雲起こり、北山に雨下(ふ)る」という言葉がある。辞書によっては「雲を起こし」「雨を下(くだ)す」と訓じているが、これは中国語独特の表現であくまでも自発。他動詞的に訳すと余計な意味が付着する。 そんなこ […]
日曜論壇 第72回 イスラム社会と向き合う
(2016/11/13 福島民報掲載)
イスラム社会の存在感がなんとなく増大している。しかも日本人には、ムスリム(イスラム教徒)についての知識が少ないから、IS(イスラム国)との区別もつかず、ただ怯えを増大させているかに思える。 イスラム社会といえば、すぐ […]