エッセイ
写真家 六田知弘展「火・風ノ貌 KA・FU NO BO」図録掲載 入我我入(にゅうががにゅう)
(2016/09/10 写真家 六田知弘展「火・風ノ貌 KA・FU NO BO」図録掲載)
シャシンと聞いて、初めに「捨身」を想い、それから「ああ、写真」と思う。けれども写眞の眞とは何なのか、六田氏の作品を眺めるうちにわからなくなる。 眞は、いつかどこかに存在した束の間の時間かというと、そうでもない。印画紙 […]
「往く」のではなく「還る」
(2016/07/18 新潮45掲載)
臨済宗僧侶という立場上、特定の死生観を奉じていると思われるかもしれないが、むしろ逆である。つまり、多くの人々に戒名をつけ、引導を渡すことを仕事にしているため、故人それぞれの人生上のテーマを探し、それを肯定しなくてはなら […]
日曜論壇 第70回 第三者の「推認」
(2016/07/10 福島民報掲載)
このところ、第三者委員会というのが流行っている。東京都知事だった舛添要一さんで有名になった感があるが、じつはその前の猪瀬直樹知事の問題のときも、また小渕優子元経産大臣の会計処理問題でも活躍した。 舛添知事のときは、「 […]
踊りだした人々
(2016/06/24 琉球新報掲載)
福島県の住民には遙かな沖縄が、とても近く感じられることがある。基地問題と原発の問題が、やはりどこか似ているのだろうか? 現政権は積極的に原発再稼働を構想し、そのプランの中には間違いなく福島第二原発も含まれている。東京 […]
朝日新聞読書欄「ひもとく」掲載 被災地で読む 心ひかれた 生き物の逞しさ
(2016/05/15 朝日新聞掲載)
小説家・玄侑宗久 東日本大震災のときの自分の体験を振り返ると、ふた月ちかくは本が読めなかった。親しい編集者が『方丈記』(鴨長明著、ちくま学芸文庫など)を薦めてくれ、ようやく活字に浸る久しぶりの体験をしたのだが、これは今 […]
日曜論壇 第69回 ご縁の善し悪し
(2016/05/08 福島民報掲載)
4月16日深夜、熊本で「本震」があったとき、私はすでに布団の中だった。翌朝、新聞で大変な事態が起こったことは知ったのだが、依然として私はそこに注意を集中できずにいた。 父が亡くなり、その本葬が4月18日であったため、 […]
日曜論壇 第68回 岳温泉のひな祭り
(2016/03/06 福島民報掲載)
毎年三月のひな祭りの季節には、二本松市の岳温泉に出かけることになっている。「あだたら万遊博 おかみと過ごすひな祭り」というイヴェントがあり、私も講演を依頼されているのである。 岳温泉観光協会女性部と「おかみ会」の主催 […]
うゐの奥山 第48回 西来院での偶然
(2016/03/05 東京新聞ほか掲載)
この世に偶然などないと考える人々もいる。そういう人々にとっては、悪いことが続いたりすると深刻である。必ず原因が明確にあるはずだと考え、それがはっきりしないのは自分の力不足だと思い、自責的にもなってしまう。逆に善(よ)い […]
桜の根元
(2016/02/02 美味しい櫻 食べる桜・見る桜・知る桜掲載)
三春には、樹齢千年を超える瀧桜を中心に、枝垂れ桜が二千本以上、他の種類も入れると一万本以上の桜がある。東北地方では、桜の開花期がちょうど種蒔き時に重なるせいか、農業神(サ)の降り立つ場所(クラ)として、桜は特別に愛され […]
看取り先生の遺言 2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」 解説 「あの世」への旅路
(2016/01/10 看取り先生の遺言 2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」掲載)
久しぶりに充実した本を読んだ。 岡部健先生のことは、以前から聞き知ってはいた。この本にも登場する、東北大学の鈴木岩弓先生や、宮城県の金田諦應師などの口から聞いたのだと思う。 岡部先生が命名したという「臨床宗教師」の […]
うゐの奥山 第46回 志賀島
(2016/01/09 東京新聞ほか掲載)
先日、講演で福岡へ出かけた折に、女房と志賀島(しかのしま)まで行ってきた。全国でも珍しい砂州による陸繋島(りくけいとう)だが、今では「海の中道」という立派な道路で繋(つな)がり、潮の満ち干に関係なく車で渡れる。 志賀 […]
鶴と亀と還暦
(2016/01/06 うえの掲載)
還暦に思うこと、というご要望なので、一巡した丙申(ひのえさる)までの人生を些か振り返り、いま思うことを書いてみたい。 自分のこれまでの人生を省みると、どうやら私は敷かれたレールからいつも少しずれた道を歩き続けてきたよ […]