エッセイ
お墓と「治山」「治水」
(2020/08/07 「地方議会人」巻頭言 掲載)
人は誰でも死ねば墓地に埋葬される。法律ではそう規定されるのだが、このところその「墓地」の輪郭が緩んできたのを感じる。海や山や宇宙にまで拡がると同時に、都市部ではロッカー型の仏壇のような施設も黙認されている。 こうした […]
令和の「治水」へ
(2020/01/14 三春舞鶴通信掲載)
先日、女房の友人が名古屋から電話をよこし、「そっち(福島県)は日本の災厄を一手に背負ってるみたいだね」と話したらしい。台風十九号による死者が全体で八十人を超え、県内がそのうち二十九人で最多と分かった頃だし、無理もない反 […]
日曜論壇 第93回 怪しい素顔
(2020/06/14 福島民報掲載)
新型コロナウィルスの流行により、マスク着用での外出や対面が新たなスタンダードになった。私自身は何十年ぶりかのマスクであるため、今も時々忘れ、お寺まで戻ったりする。 お経を唱える場合はご遺体と遺影のほうに向いているため […]
夫婦の椅子
(2020/05/01 かまくら春秋掲載)
日本人の心性を培った最大の習慣は、正坐ではないかと思う。正坐は次の行動に待機する型でもありながら、そのまま禅定にも入ってしまえる。どっちつかずと言うこともできるが、欲張りな「両行(りょうこう)」である。また正坐は腹式呼 […]
新型コロナウイルスの導く世界
(2020/04/23 佛教タイムス掲載)
緊急事態宣言の対象区域が全都道府県に広がった。不要不急の外出自粛をはじめ県境を越えての移動も抑制されることになる。しかしウイルスは国境や県境を容易く越える。マクロとミクロの視点から作家で僧侶の玄侑宗久氏が、新型コロナウイ […]
日曜論壇 第92回 凜とした連帯
(2020/04/12 福島民報掲載)
「そんなに近づくんじゃない」。 そう言われて畳の上を後ずさったのは、道場の入門試験が終わり、雲水の責任者に初めて面会したときだった。人に敬意を示すには、距離が必要なのだ。距離は畏敬の表現なのだと深く自覚した。 一方で […]
六田知弘写真集 仏宇宙 Tomohiro Muda Buddha Universe 解説 一隅を照らす
(2020/03/03 六田知弘写真集 仏宇宙 Tomohiro Muda Buddha Universe掲載)
この本に収められた写真たちの撮影期間は約三十年にも及ぶ。三十年を一律に語るのは無謀なことだが、逆に期間が長いぶん、六田さんの変わらない部分が見えやすいのかもしれない。 冒頭を飾った無著の写真。私はその撮影秘話を伺って […]
特集 原発と民主社会 あはれから無常への9年 危機を憶いださねばならない理由
(2020/02/10 月刊 Journalism(朝日新聞社)掲載)
震災から9年が経とうとする今、あらためて震災以後の時間を振り返ってみたい。思えばこの火山列島に住む人々は、長い歴史のなかで多くの災害に遭ってきた。『方丈記』にも感じることだが、災害の多い境遇だからこそ培われた日本人なら […]
日曜論壇 第91回 花を弄すれば
(2020/02/09 福島民報掲載)
「花を弄(ろう)すれば香り衣に満つ」という禅語がある。もとは唐の詩人于良史の詩「春山夜月」の一節だが、禅の世界では時に作者の意図を超え、人生上の意味を込めて使うことが多い。ここでは、花に囲まれ花に触れていれば衣類に芳香 […]
中央公論新社 中公文庫「養生訓」 解説 自愛の作法
(2020/1/21 中央公論新社 中公文庫「養生訓」 解説掲載)
私は以前、『養生訓』を中心にさまざまな養生法について考える本を書いた(『養生事始』清流出版、二○一二年)。きっと今回はそれゆえの依頼だろうから、その本にまつわる話から始めたいと思う。 サブタイトルは「自愛の手引書」と […]
「みんなよくなれ 鳥獣りは」書評 喪失から創作へ
(2020/01/15 理学療法ジャーナル掲載)
一級建築士として活躍していた村越さんは、近所の公園でジョギング中に脳出血を起こし、入院生活を余儀なくされる。六十歳という働き盛りのことでもあり、そのショックは大変なものだっただろうと推察する。 この本は、村越さんが五 […]
特集 縁起を担げ さすらいの「縁起」
(2020/1/1 UCカード会員誌 てんとう虫掲載)
どうやらここで私に期待されている役割は、本来の「縁起」の意味を提示することらしい。つまり「良い」とか「悪い」とか、挙げ句は「担」がれたりもする縁起だが、そもそも縁起とはいったい何なのか、そのことをご期待に沿うべく書いて […]