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言中響あり
(エッセイ・ 2023/9/1 )

隠元隆琦筆一行書 隠元隆琦 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション)  この連載の何よりのありがたさは、思いもよらぬ凄い墨跡に出逢えることだ。今回も隠元和尚の雄渾な書に接して歓喜した。しかもこの言葉、私の大好きな言葉で […]

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無常と循環
(エッセイ・ 2023/7/1 )

仙厓 「滝図自画賛」 紙本墨画 一幅 136.2×30.2 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)  「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と『方 […]

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なんとかなるさ
(エッセイ・ 2023/5/1 )

「五言草書幅」 愚極礼才 紙本墨書 一幅 91×31 ふくやま書道美術館蔵  宋代に達磨関係の文書をまとめた『少室六門集』に次の文章がある。「吾れ本(も)と茲(こ)の土(ど)に来たり、法を伝えて迷情(めいじょう)を救う。 […]

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「坐」ってリセット
(エッセイ・ 2023/3/1 )

 日本人の日本人らしさとは何なのかと、たまに考えることがある。昔の答えは「布団の上げ下ろし」と「正坐」だった。オンドルに布団を敷いたままの韓国人と、北宋の時代からベッドを使った中国人に対し、日本人はつい最近まで布団を上げ […]

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「一」という体験
(エッセイ・ 2022/12/28 )

清巌宗渭筆「一」一大字 清巌宗渭 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション) https://objecthub.keio.ac.jp/object/298  最近は自他の違いに目を向け、多様性を尊重するのがトレンドらし […]

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修行の階梯
(エッセイ・ 2022/11/1 )

「十牛図」 陶山雅純摸 原本:狩野探幽筆 江戸時代 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)  「天真を養う」という言葉は不思議である。天真は以て生まれた命そのもの […]

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撥草参玄
(エッセイ・ 2022/9/1 )

「撥草」 沢庵宗彭 紙本墨書 一幅 32 x 57 ふくやま書道美術館蔵  「撥草」は「バチクサ」と読めばペンペン草のこと。実の形が三味線のバチ(撥)に似ているため「なずな」をそう呼ぶのだが、ここでは無論そうではなく、『 […]

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心おのずから凉し
(エッセイ・ 2022/7/1 )

 唐の文宗はある夏の日に学士たちと聯句を楽しみ、まず発句を詠んだ。「人皆な炎熱に苦しむも、我は愛す夏日の長きことを」。柳公権が続けた。「薫風南より来り、殿閣微凉を生ず」。他の学士も句を続けたのだが文宗はいたくこの句が気に […]

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其の心
(エッセイ・ 2022/4/30 )

「應無所住而生其心」 慈雲尊者「金剛経」(臨済録・金剛経・碧巌録之句 三幅のうち一幅) 紙本墨書 京都・地福寺藏  人間はあれこれ考えないではいられない存在だが、この「考え中」ほど困った状態はない。禅では「分別」「妄想」 […]

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心力を労せず
(エッセイ・ 2022/3/1 )

一行書「不労心力」 夢窓疎石 紙本墨書 一幅 南北朝時代 東京国立博物館藏 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)  『臨済録』に次のような説示がある。「心法は形無くして十方に通貫 […]

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隻手
(エッセイ・ 2022/1/24 )

 臨済禅の道場に入門すると、まず老師から初関と言われる公案をいただく。初関とは最初の関所。これにより、禅僧としての威儀や作法だけでなく、心の在り方も習得させようというのだ。  私は「狗子仏性(くしぶっしょう)(趙州(じょ […]

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竹林の風
(エッセイ・ 2021/11/8 )

沢庵宗彭「竹画讃」 福聚寺蔵  西洋の人々が東洋に憧れるとき、そこに意外なほど竹という植物が介在していることに気づく。茶筅や竹刀(しない)、筆や弓矢にも竹は欠かせないが、むろん竹林という環境もインドには竹林精舎を生みだし […]

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