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花散らぬ、嵐
(エッセイ・ 2010/4/11 )

 四月二日、東京五反田のIMAGICAという映像・音響施設で、映画「アブラクサスの祭」の初号試写会があった。以前そこには、自著の朗読のために行ったことがある。しかし今回は桜が満開だったせいか、少々迷いながら辿り着いた。 […]

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七転び八起き
(エッセイ・ 2010/1/31 )

 正月に達磨の軸物を飾るのは禅寺の習慣だが、うちのお寺では雪村筆の達磨図を大晦日に掛けることになっている。福聚寺七世であった鶴堂和尚の弟子になったのが雪村であり、僧名は鶴船周継である。  雪村は茨城県に生まれ、福聚寺開山 […]

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まもなくクランク・アップ
(エッセイ・ 2009/11/29 )

 映画の撮影開始のことを、手回しカメラ時代のハンドル(Crank)にあやかってクランク・インと呼ぶ。今や手回しではなく、記録用のビデオさえデジタルだが、ともあれ映画『アブラクサスの祭』の撮影が始まっている。 それに先だち […]

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新作『阿修羅』のこと
(エッセイ・ 2009/9/27 )

 十月八日に、久しぶりの長編小説『阿修羅』が刊行になる。講談社が創立百周年に当たって百冊の書き下ろし本を刊行するのだが、そのうちの一冊として書いたものだ。  依頼は二年ちかくまえにあり、そのときから「解離」という現代の病 […]

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さまざまな立場
(エッセイ・ 2009/6/21 )

 このところ墓地内に建設中の永代供養墓のことでいろんなことを考える。大勢の人々がそれぞれの立場から協力してくださり、それがとてもありがたいのだが、時にはその立場の違いで意見の違いが出てくる。今問題になっているのは、屋根の […]

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生物多様性と多文化共生
(エッセイ・ 2009/5/24 )

 このところ環境問題のほうでは、生物多様性ということがよく言われる。より多くの生物が共生できる環境こそ素晴らしいという考え方に異論はないのだが、この場合、どういうわけか帰化植物や外国からやってきた虫などは嫌われる傾向にあ […]

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団子と頭痛
(エッセイ・ 2009/3/8 )

 県内だけでなく、けっこう広い地域に云い伝わることだが、お墓参りのときにお供えした団子を食べると頭が痛くならないという。  僧侶になりたての時は、莫迦な迷信とも思い、またそれなら団子にバファリンやノーシンでも入れたらどう […]

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さまざまな正月
(エッセイ・ 2009/1/11 )

 毎年お寺のお正月は、檀家さんからの年始受けやこちらからの年始廻りで慌ただしい。こちらからお邪魔するのはお寺独特の用語で「配札(はいさつ)」というのだが、要するに元朝に祈祷した御札を配り歩き、各家の一年の清安を祈るのであ […]

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金風
(エッセイ・ 2008/11/2 )

 食欲の秋、文化の秋、スポーツの秋、読書の秋。秋には何でもよく似合うわけだが、なにもこれを全部こなして忙しくしろという意味ではない。昔から秋は稔りの季節。なにをやっても深く味わえるときということだろう。  たいていの田畑 […]

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お寺のゴミ問題
(エッセイ・ 2008/8/24 )

 このところ、世間では二酸化炭素(CO2)の問題が流行っている。焚き火も全面禁止する行政が増えていると聞く。以前は、フロンガスやダイオキシンなどが取り沙汰されたものだが、最近はもっぱら二酸化炭素問題に絞られている。近年の […]

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私は裁きません!
(エッセイ・ 2008/6/15 )

 このところ、あまりに重要な取り決めがたいした議論を経ないでストンと決まることが多い気がする。「裁判員制度」もそうだ。私が世間知らずなだけかもしれないが、少なくとも騒ぎになったときにはもう決まっていた観がある。  調べる […]

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なんのための改名か!
(エッセイ・ 2008/4/13 )

 このところ、聾学校を「聴覚支援学校」と改名しようとして、当の聾学校の人々の反撥を招いている。つまり、彼らは「聾」という言葉に誇りさえ持っているのに、「支援されるべき」人々と見られたことでその誇りが傷つけられたのである。 […]

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