エッセイ
三春町民が安定ヨウ素剤を飲んだワケ
(2011/04/09 文藝春秋掲載)
三月十一日午後二時四十六分に起こった大地震は、その後の甚大な津波災害を伴い、また福島第一原子力発電所の危機によって、さながら地獄図のような様相を呈してきている。 私の住む福島県三春町も当該原発から約四十五キロ西にあり […]
国は「誠」を示すべきだ
(2011/03/25 毎日新聞掲載)
不可欠なのは市民の被曝を抑えること 原発という「龍」を所有する資格はない 今日、三月二十三日現在、私はなんとか無事である。福聚寺というお寺にいて、微力ながら被災者の支えになれないかと避難所を巡ったりしている。しかしこの […]
日曜論壇 第39回 大人と子供
(2011/02/27 福島民報掲載)
子供のころ、大人というのは複雑でよく解らない人々だと思っていた。酒を飲みタバコを吸う様子にも、きっと大きくならないと子供には解らない理屈があるのだろうと思っていた。小学校から中学に上がってもその感覚は変わらず、大人の行 […]
仏教ライフ 巻頭エッセイ 憑依する神霊
(2011/1/1 仏教ライフ掲載)
今どきこのような不穏なタイトルで、いったい何を語るのかと、訝るかもしれない。 しかし今はお正月、歳徳神が門松に降りてくる時節である。憑依する霊と、あまりに似てはいないか。 万葉時代の日本人は、枕詞に見るかぎり、「た […]
日曜論壇 第38回 計画病
(2010/12/19 福島民報掲載)
このところ、死後のことなどを考えるのがブームのようだ。「死」そのもののイメージが湧きにくいため、どうしても死後のことばかり考えるのだろうが、この両者は大きく隔たっている。 葬儀は身内だけでいいとか、お墓はもう申し込ん […]
運命の休刊
(2010/12/15 Shall we Lotte11号掲載)
大学生の頃、学校にはあまり行かず、小説を書いていた。自分の輪郭もよく分からず、「文体」にも意識は行き届かなかった。新人賞に応募しても二次選考に通らないこともあり、鬱屈した日々だった。 ところがある新人賞で最終選考に残 […]
「しきたり」と革新の街、京都
(2010/11/25 ジパング倶楽部掲載)
京都は、じつに洗練された、極めつけの田舎である。百五十万都市をさして田舎とは、首をかしげる人も多いかもしれないが、「一見(いちげん)さん」を入れないなどという考え方が、都市に起こるはずはない。「あの人、誰?」「客なら誰 […]
日曜論壇 第37回 「情報」という名の幽霊
(2010/10/17 福島民報掲載)
情報化社会と云われて久しい。学生たちもこぞってコンピューターを使い、世界中の情報を自由に取得できる時代になった……、かに思われているが、果たして本当にそうだろうか。 百歳以上で行方知れずの人々はどんどん増え、最終的な […]
いやはや語辞典
(2010/10/08 読売新聞掲載)
らしい…「キャラ」で決めつけない A「彼は先週、また遅刻したんだ」B「らしいね」 AとBの会話だが、これまでの日本語の感じからすれば、Bも遅刻のことを聞き知っていて、「らしいね」は「そうらしいね」の省略形、つまり伝聞 […]
日曜論壇 第36回 死ねる病院はどこ?
(2010/08/15 福島民報掲載)
厚労省の内部用語であった「後期高齢者」という言葉が表沙汰に使われ、えらく不評だったのは記憶に新しいが、それが今度は「長寿」医療制度などと改名されたのだから、ちゃんちゃら可笑しい。 命名については笑うしかないが、笑って […]
日曜論壇 第35回 墓地共用のすすめ
(2010/06/13 福島民報掲載)
このところ、島田裕巳氏が『お葬式は、要らない』(幻冬舎新書)を書き、一条真也氏が反論として『お葬式は必要!』(双葉新書)を書くなど、お葬式をめぐる状況の変化が俄かに注目されている。 私の立場で「必要」だと申し上げるの […]
日曜論壇 第34回 花散らぬ、嵐
(2010/04/11 福島民報掲載)
四月二日、東京五反田のIMAGICAという映像・音響施設で、映画「アブラクサスの祭」の初号試写会があった。以前そこには、自著の朗読のために行ったことがある。しかし今回は桜が満開だったせいか、少々迷いながら辿り着いた。 […]