エッセイ
日曜論壇 第37回 「情報」という名の幽霊
(2010/10/17 福島民報掲載)
情報化社会と云われて久しい。学生たちもこぞってコンピューターを使い、世界中の情報を自由に取得できる時代になった……、かに思われているが、果たして本当にそうだろうか。 百歳以上で行方知れずの人々はどんどん増え、最終的な […]
いやはや語辞典
(2010/10/08 読売新聞掲載)
らしい…「キャラ」で決めつけない A「彼は先週、また遅刻したんだ」B「らしいね」 AとBの会話だが、これまでの日本語の感じからすれば、Bも遅刻のことを聞き知っていて、「らしいね」は「そうらしいね」の省略形、つまり伝聞 […]
日曜論壇 第36回 死ねる病院はどこ?
(2010/08/15 福島民報掲載)
厚労省の内部用語であった「後期高齢者」という言葉が表沙汰に使われ、えらく不評だったのは記憶に新しいが、それが今度は「長寿」医療制度などと改名されたのだから、ちゃんちゃら可笑しい。 命名については笑うしかないが、笑って […]
日曜論壇 第35回 墓地共用のすすめ
(2010/06/13 福島民報掲載)
このところ、島田裕巳氏が『お葬式は、要らない』(幻冬舎新書)を書き、一条真也氏が反論として『お葬式は必要!』(双葉新書)を書くなど、お葬式をめぐる状況の変化が俄かに注目されている。 私の立場で「必要」だと申し上げるの […]
日曜論壇 第34回 花散らぬ、嵐
(2010/04/11 福島民報掲載)
四月二日、東京五反田のIMAGICAという映像・音響施設で、映画「アブラクサスの祭」の初号試写会があった。以前そこには、自著の朗読のために行ったことがある。しかし今回は桜が満開だったせいか、少々迷いながら辿り着いた。 […]
日曜論壇 第33回 七転び八起き
(2010/01/31 福島民報掲載)
正月に達磨の軸物を飾るのは禅寺の習慣だが、うちのお寺では雪村筆の達磨図を大晦日に掛けることになっている。福聚寺七世であった鶴堂和尚の弟子になったのが雪村であり、僧名は鶴船周継である。 雪村は茨城県に生まれ、福聚寺開山 […]
「精神の自由ということ」書評 信じる人にも、信じない人にも
(2009/12/16 季刊scripta掲載)
この本のタイトルを見れば、たいていの禅僧は振り向くだろう。「精神の自由」とは、禅の中心テーマでもあるからだ。そして本を手にとって目次を見ると、簡潔な章立てだけが書かれている。曰く「宗教なしですませられるだろうか」「神は […]
日曜論壇 第32回 まもなくクランク・アップ
(2009/11/29 福島民報掲載)
映画の撮影開始のことを、手回しカメラ時代のハンドル(Crank)にあやかってクランク・インと呼ぶ。今や手回しではなく、記録用のビデオさえデジタルだが、ともあれ映画『アブラクサスの祭』の撮影が始まっている。 それに先だち […]
月刊武道 巻頭エッセイ 雲水と入道
(2009/09/28 月刊武道掲載)
禅の修行者のことを、昔から雲水という。行雲流水の略で、行く雲や流れる水のように滞ることなく自由に求道の旅をすることから名づけられたらしい。 滞らない、というのは、守るべきものや所有するものがないということだ。全くない […]
日曜論壇 第31回 新作『阿修羅』のこと
(2009/09/27 福島民報掲載)
十月八日に、久しぶりの長編小説『阿修羅』が刊行になる。講談社が創立百周年に当たって百冊の書き下ろし本を刊行するのだが、そのうちの一冊として書いたものだ。 依頼は二年ちかくまえにあり、そのときから「解離」という現代の病 […]
私だけの「みかえり阿弥陀」さま
(2009/09/26 一個人特別編集版「仏像入門」掲載)
以前、『私だけの仏教』(講談社+α新書)という本を書いたとき、表紙に仏像の写真を使いたいのでお好きな仏像を教えてくださいと編集者に言われた。私は迷わず永観堂の「みかえり阿弥陀」像を挙げた。結局表紙には三体の仏像の写真が […]
海という暗黒
(2009/07/25 TASHINAMI 夏号掲載)
私が生まれた町は海から遠く、今も私はその町に住んでいる。 その代わりというのも妙だが、町からさほど遠くないところに大きな湖があり、幼いころの私はそれを海だと思っていた。 大きな湖だし深さも百メートル近くあるから、ち […]