エッセイ
過渡的な解決策としての「赤ちゃんポスト」
(2007/06/12 日経EW掲載)
昔は、産んでしまえばなんとかなるさ、という楽観が社会に支配的だった。「案ずるより産むがやすし」ということわざも、その経験的実感に支えられていた。 しかし今や、育てられそうもないから中絶する、という考え方のほうが常識的 […]
日曜論壇 第18回 若冲展に思う
(2007/06/03 福島民報掲載)
京都相国寺の承天閣美術館で開かれている若冲展に行ってきた。 これほど人が行列しているのを見たのは何年ぶりだろうか。パンダかモナリザを憶いださせる盛況ぶりだった。しかもそこに私が並んだのだから珍しい。ふだんはたとえどん […]
現代人のための「チベット死者の書」書評 クリエイティヴな死の稽古が生の質を変える
(2007/05/29 週刊朝日掲載)
我々の経験する世界は、じつは「心」や「無意識」によって支えられ、成り立っている。それは仏教的常識というより、今や脳科学的な知見と云ってもいいだろう。脳内にインストールされているソフトに見合った体験しか、我々はしないので […]
「生きる」ことと記憶
(2007/05/28 教育と医学掲載)
通常、記憶というのはコンピュータのメモリーのように、脳のどこかに固定的に貯蔵されているものと思いがちである。しかしどうもそうではなく、憶いだす瞬間に再構築されているらしい。 そのことは、ノーベル賞を受賞した神経学者ジ […]
日曜論壇 第17回 嗜好品という文化
(2007/04/15 福島民報掲載)
広辞苑によれば、栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を得るための飲食物を「嗜好品」という。酒やお茶、コーヒー、タバコなどが例示されるが、どんな嗜好品を好むかは人それぞれ。だからこそ嗜好品を認めることは信教の自由と同じく人の […]
三春の桜
(2007/03/07 ミセス掲載)
三春町には、いったい桜が何本あるのだろう。 一億円のふるさと創生資金のうち、八千万が桜の植栽に使われた。その時点で本数は吉野を超え、日本一になったのだとも聞いた。むろんそれ以前から紅枝垂れは数多く、四百数十年まえの殿 […]
「知と愛」~若き葛藤を包み込む息づかい~
(2007/02/15 月刊 本の時間掲載)
再会の読書 ヘルマン・ヘッセ「知と愛」 若い頃、まだ修行に行くまえの私は、宗教と文学との間で揺れていたと、最近は人に話す。しかし冷静に考えると、そのような振り子みたいな迷いではなかったような気がする。 図書館分類学の […]
日曜論壇 第16回 約束
(2007/01/28 福島民報掲載)
人はさまざまな約束をしながら生きている。明日の約束もあれば、死ぬまでにきっと、という誓いのようなものもある。キリスト教圏には神との契約という考え方があるが、これだって約束の一種に違いない。 人はなぜ、約束するのか。そ […]
日曜論壇 第15回 母から子への手紙
(2006/11/19 福島民報掲載)
毎年、猪苗代町が主催する「母から子への手紙」コンテストの審査に関わっている。これはアメリカ留学中だった野口英世に宛てて書かれた母シカさんの手紙に因み、母が子を想う切々たる慈愛の気持ちを現代日本で掘り起こしたい、という主 […]
映画「手紙」劇場用パンフレット掲載 「手紙」……塀を越えた、血潮の奔流
(2006/11/03 「手紙」劇場用パンフレット掲載)
このところ、刑事犯罪を犯した人々の社会復帰が難しい世の中になりつつある。むろん犯人を取り巻く周囲の人々にも、差別を含んだ一段と厳しい眼差しが向けられる。そこでは個人の尊厳などよりも、防犯意識のほうが優先され、今や街のあ […]
仏教者が読んだ「美しい国へ」
(2006/10/10 文藝春秋掲載)
安倍新内閣を採点する 文春新書『美しい国へ』を読んだ。こういう形で自分の考えを事前に提示する総裁が、これまでいたのかどうか寡聞にして知らないが、考えようでは、これは劇場型政治のあとの、脚本家あるいは演出家政治の始まりか […]
月刊文庫文蔵掲載 禅といろは
(2006/10/4 月刊文庫文蔵掲載)
「いろは」と禅 現在の子供たちは、小学校に入るとまず「あいうえお」を習う。昔はそれが「いろは」だったわけだが、「いろは四十七文字(いろは歌)」で平仮名を覚えた人々はすでに九十歳以上になってしまった。 それでもかなり多 […]