エッセイ
巻頭リレーエッセイ 信じる “からだ”
(2008/01/01 月刊武道掲載)
「信」という文字は、もともと神の前で、人との間に約束したことを指した。 “からだ”が変わりつづけ、すべてが変わりつづけていくなかで、変わらない言葉を信じようとしたのは洋の東西を問わない出来事だったのだろう。 中国では […]
我が家のお正月のしきたり
(2007/12/10 月刊PHP掲載)
我が家には正月のしきたりが、ありすぎるほどある。これは我が家というより、長年のお寺の習慣である。ここでは、そのなかでわりと一般的なものを紹介しよう。 元朝(がんちょう)の四時に起きて若水(わかみず)を本堂に供え、五時 […]
日曜論壇 第21回 未然防止策?
(2007/12/09 福島民報掲載)
以前、私はあるエッセイに、入国に際して指紋や写真を要求し、容疑者扱いするような国には今後永久に行かないだろうと書いた。すると編集者が気を利かせ、「これはちょっと過激すぎませんか」と言うから、助言に感謝しつつ「この制度が […]
名作ここが読みたい ジロリの女(坂口安吾) どこまでも平行線の宿命 切ない求道の物語「ジロリの女」
(2007/10/20 週刊KODOMO新聞掲載)
主人公の40代の男、ゴロー三船は、知的で気の強い女性を「ジロリの女」と呼ぶ。そういうタイプの女性は、心を見抜くように三船の顔を冷たくジロリと見るからだ。誰にでも軽口やお世辞を言う調子のいい男、三船は、苦手な「ジロリの女」 […]
日曜論壇 第20回 奈落の月
(2007/10/07 福島民報掲載)
今年の仲秋の名月は、九月二十五日だった。坐禅会の終わった十時すぎに夜空を見上げると、薄曇りではあったがそれでも大きな月がかかっていた。 上座部仏教圏では、お釈迦さまが生まれたのも成道されたのも、亡くなったのも満月の日 […]
特集「写経を始めてみませんか」 涼風に出逢う旅
(2007/09/01 墨 2007年9・10月号掲載)
長年文字を書くうちに、我々はどうしても自分らしいクセを身につけてしまう。撥ね方、抜き方、止め方にも、その人独特の個性がにじむものだ。そのことじたいは自然なことだし、善くも悪くもない。むしろ活字のような文字ではつまらない […]
日曜論壇 第19回 ちょっと待って!
(2007/08/05 福島民報掲載)
待たなくていい世の中になってきた。「三分間、待つのだよ」という宣伝もすでに古く、「お待たせしません三十秒」というのまである。 だから人は、待てなくなった。特に携帯電話の普及によって時差も距離も関係なくなってしまったか […]
過渡的な解決策としての「赤ちゃんポスト」
(2007/06/12 日経EW掲載)
昔は、産んでしまえばなんとかなるさ、という楽観が社会に支配的だった。「案ずるより産むがやすし」ということわざも、その経験的実感に支えられていた。 しかし今や、育てられそうもないから中絶する、という考え方のほうが常識的 […]
日曜論壇 第18回 若冲展に思う
(2007/06/03 福島民報掲載)
京都相国寺の承天閣美術館で開かれている若冲展に行ってきた。 これほど人が行列しているのを見たのは何年ぶりだろうか。パンダかモナリザを憶いださせる盛況ぶりだった。しかもそこに私が並んだのだから珍しい。ふだんはたとえどん […]
現代人のための「チベット死者の書」書評 クリエイティヴな死の稽古が生の質を変える
(2007/05/29 週刊朝日掲載)
我々の経験する世界は、じつは「心」や「無意識」によって支えられ、成り立っている。それは仏教的常識というより、今や脳科学的な知見と云ってもいいだろう。脳内にインストールされているソフトに見合った体験しか、我々はしないので […]
「生きる」ことと記憶
(2007/05/28 教育と医学掲載)
通常、記憶というのはコンピュータのメモリーのように、脳のどこかに固定的に貯蔵されているものと思いがちである。しかしどうもそうではなく、憶いだす瞬間に再構築されているらしい。 そのことは、ノーベル賞を受賞した神経学者ジ […]
日曜論壇 第17回 嗜好品という文化
(2007/04/15 福島民報掲載)
広辞苑によれば、栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を得るための飲食物を「嗜好品」という。酒やお茶、コーヒー、タバコなどが例示されるが、どんな嗜好品を好むかは人それぞれ。だからこそ嗜好品を認めることは信教の自由と同じく人の […]