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白隠 厳粛かつポップな禅僧
(エッセイ・ 2012/11/12 )

 白隠慧鶴禅師は貞享二(一六八五)年、駿河の国、原の宿に生まれ、明和五(一七六八)年、八十四歳で遷化(せんげ)した臨済宗の僧である。諡(おくりな)は後桜町天皇から「神機独妙禅師(しんきどくみょうぜんじ)」、明治天皇から「 […]

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暮らしの中の宗教
(エッセイ・ 2012/6/30 )

 今回の特集テーマそのもののようなタイトルである。  「生活」を「暮らし」に変えたのは私の単なる趣味だが、私が書く以上それは「暮らしの中の『仏教』」ではないか、という疑念をもたれるかもしれない。  それについては、日本人 […]

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死して生まれよ ~無常と「もののあはれ」~
(エッセイ・ 2012/3/3 )

「仏教の三宝印の一つ“諸行無常”。この“無常”は、とりわけ日本で発達した世界観である」――と語るのは、福島県で生まれ育った臨済宗住職であり、芥川賞作家でもある玄侑宗久氏。国難を迎えた現代日本にあって、東日本大震災復興構想 […]

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無常の価値を、見直す時代
(インタビュー・ 2011/8/7 )

震災後、多くの人が心のよりどころを求めています。こうした中、仏教の果たす役割とは? 作家で僧侶の玄侑宗久さんを福島の福聚寺にたずね、仏教の魅力について伺いました。 寛容さが日本仏教の特徴  仏教はインドから中国を経て日本 […]

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憑依する神霊
(エッセイ・ 2011/1/31 )

 今どきこのような不穏なタイトルで、いったい何を語るのかと、訝るかもしれない。  しかし今はお正月、歳徳神が門松に降りてくる時節である。憑依する霊と、あまりに似てはいないか。  万葉時代の日本人は、枕詞に見るかぎり、「た […]

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いやはや語辞典
(エッセイ・ 2010/10/8 )

らしい…「キャラ」で決めつけない  A「彼は先週、また遅刻したんだ」B「らしいね」  AとBの会話だが、これまでの日本語の感じからすれば、Bも遅刻のことを聞き知っていて、「らしいね」は「そうらしいね」の省略形、つまり伝聞 […]

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墓地共用のすすめ
(エッセイ・ 2010/6/13 )

 このところ、島田裕巳氏が『お葬式は、要らない』(幻冬舎新書)を書き、一条真也氏が反論として『お葬式は必要!』(双葉新書)を書くなど、お葬式をめぐる状況の変化が俄かに注目されている。  私の立場で「必要」だと申し上げるの […]

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信じる人にも、信じない人にも
(エッセイ・ 2009/12/16 )

 この本のタイトルを見れば、たいていの禅僧は振り向くだろう。「精神の自由」とは、禅の中心テーマでもあるからだ。そして本を手にとって目次を見ると、簡潔な章立てだけが書かれている。曰く「宗教なしですませられるだろうか」「神は […]

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新作『阿修羅』のこと
(エッセイ・ 2009/9/27 )

 十月八日に、久しぶりの長編小説『阿修羅』が刊行になる。講談社が創立百周年に当たって百冊の書き下ろし本を刊行するのだが、そのうちの一冊として書いたものだ。  依頼は二年ちかくまえにあり、そのときから「解離」という現代の病 […]

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私だけの「みかえり阿弥陀」さま
(エッセイ・ 2009/9/26 )

 以前、『私だけの仏教』(講談社+α新書)という本を書いたとき、表紙に仏像の写真を使いたいのでお好きな仏像を教えてくださいと編集者に言われた。私は迷わず永観堂の「みかえり阿弥陀」像を挙げた。結局表紙には三体の仏像の写真が […]

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さまざまな立場
(エッセイ・ 2009/6/21 )

 このところ墓地内に建設中の永代供養墓のことでいろんなことを考える。大勢の人々がそれぞれの立場から協力してくださり、それがとてもありがたいのだが、時にはその立場の違いで意見の違いが出てくる。今問題になっているのは、屋根の […]

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精進料理、あるいはコンニャクの修行のこと
(エッセイ・ 2009/4/6 )

 精進料理と云えば、禅寺など仏教寺院に伝わるいわゆる肉魚抜きの料理を指すことが多い。しかし、どうして肉魚抜きが「精進」なのだろう。  「精進」はもともと仏教の実践法である六波羅蜜の一つ。手間暇惜しまず、結果を期待せず、と […]

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