エッセイ
天真を養う 第10回 心おのずから凉し
(2022/07/01 墨 2022年7・8月号(277号)(芸術新聞社)掲載)
唐の文宗はある夏の日に学士たちと聯句を楽しみ、まず発句を詠んだ。「人皆な炎熱に苦しむも、我は愛す夏日の長きことを」。柳公権が続けた。「薫風南より来り、殿閣微凉を生ず」。他の学士も句を続けたのだが文宗はいたくこの句が気に […]
日曜論壇 第104回 北国の初夏と「宿怨」
(2022/05/15 福島民報掲載)
一九四一年四月に結ばれた「日ソ中立条約」は四年後の四月に一方的に破棄を通告され、ソ連は「連合国の参戦要請を受けた」と詐(いつわ)って八月八日に突如日本に宣戦布告した。その動きは一気呵成(かせい)で、翌九日の午前零時から […]
天真を養う 第9回 其の心
(2022/05/01 墨 2022年5・6月号(276号)(芸術新聞社)掲載)
「應無所住而生其心」 慈雲尊者「金剛経」(臨済録・金剛経・碧巌録之句 三幅のうち一幅) 紙本墨書 京都・地福寺藏 人間はあれこれ考えないではいられない存在だが、この「考え中」ほど困った状態はない。禅では「分別」「妄想」 […]
猫神さまとグロムイコ
(2022/03/12 月刊ねこ新聞 2022年3月号掲載)
昔、大学生の頃に住んでいた六畳一間のアパートに、ときおり現れるネコがいた。二階の部屋の西側の窓に現れるので、屋根伝いに渡ってくる通路があるのだろう。特に調べたこともなかったが、窓が開いていればそこからするりと半身を滑ら […]
天真を養う 第8回 心力を労せず
(2022/03/01 墨 2022年3・4月号(275号)(芸術新聞社)掲載)
一行書「不労心力」 夢窓疎石 紙本墨書 一幅 南北朝時代 東京国立博物館藏 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 『臨済録』に次のような説示がある。「心法は形無くして十方に通貫 […]
日曜論壇 第103回 たまきはる福島基金
(2022/02/20 福島民報掲載)
原発事故が起こり、主に故郷から避難した子どもや若者を支援しようと「たまきはる福島基金」を立ち上げたのは二〇一一年の八月だった。立ち上げたといっても私が籏(はた)を振ったわけではなく、県の林業会館にいた渡邊卓治さんとその […]
天真を養う 第7回 隻手
(2021/12/28 墨 2022年1・2月号(274号)(芸術新聞社)掲載)
臨済禅の道場に入門すると、まず老師から初関と言われる公案をいただく。初関とは最初の関所。これにより、禅僧としての威儀や作法だけでなく、心の在り方も習得させようというのだ。 私は「狗子仏性(くしぶっしょう)(趙州(じょ […]
特集 一期一会を考える コロナ禍と一期一会
(2021/12/15 月刊茶道誌 淡交掲載)
コロナ禍が永く続き、人との接触が控えられてきた。今も接触する際はマスクを着けて距離をとり、家族以外との会話はほとんどマスク越しになされることが多い。 そうした接触を続けていると、いわば貯金を使うような気分になってくる […]
日曜論壇 第102回 アナザーストーリーズ
(2021/12/12 福島民報掲載)
歴史とは、スポットライトの当てようで一変してしまうことがあるものだが、はっきりそれを意図して作られているのがNHK・BSの「アナザーストーリーズ」という番組だろうか。 一九五〇年七月二日未明、京都鹿苑寺(ろくおんじ) […]
追悼 瀬戸内寂聴 楽天力の人
(2021/12/04 図書新聞 第3522号掲載)
寂聴さんと出逢ったのは、私の『アミターバ』が「新潮」に掲載されて程なくだったと思う。読んで対談したいと言ってくださり、新潮社の編集者が段取ってくれたのである。 対談場所は磐梯熱海の温泉宿だった。郡山のホテルで一緒に食 […]
天真を養う 第6回 竹林の風
(2021/11/01 墨 2021年11・12月号(273号)(芸術新聞社)掲載)
沢庵宗彭「竹画讃」 福聚寺蔵 西洋の人々が東洋に憧れるとき、そこに意外なほど竹という植物が介在していることに気づく。茶筅や竹刀(しない)、筆や弓矢にも竹は欠かせないが、むろん竹林という環境もインドには竹林精舎を生みだし […]
日曜論壇 第101回 形見としての自然
(2021/10/10 福島民報掲載)
お通夜の儀式後、私はたいてい柩(ひつぎ)の蓋に筆で文字(言葉)を書かせていただく。別に私の発案ではなく、先住職である父がしていたことだし、元々は宗派に関係ない全国的な習慣で、棺文(かんもん)と言われる。 昔ながらの定 […]