エッセイ
『紫野』連載エッセイ 第1回 心の安全保障
(2022/07/01 『紫野』第61号(臨済宗大本山大徳寺)掲載)
和語はじつに面白い。古代の日本人は「心」のことを「うら」と呼んだらしく、「うらやむ」は「心(うら)病(や)む」で、元は主に愛情関係における嫉妬を意味していたらしい(白川静『字訓』など)。 自分もそうでありたいという願 […]
僊厓(せんがい)―洒脱と禅― 「渋柿」時代の仙厓義梵―洒脱以前の身心行脚―
(2022/07/25 季刊 禅文化 265号掲載)
はじめに 通常、仙厓義梵(せんがいぎぼん・一七五○~一八三七)といえば、書画に長けた洒脱(しゃだつ)な禅僧として知られる。もっと言えば、四十歳で博多聖福寺の住職になってからの、「博多の仙厓さん」としてである。 天保八 […]
雪村屋敷跡地
(2022/07/01 『雪村』第4号(雪村顕彰会)掲載)
雪村顕彰会の冨山章一さんから電話があり、「雪村屋敷跡地を見に来てほしい」と言われたのは二〇二一年も晩秋のことだったと思う。「風水的な環境を見てほしい」と仰るのだが、私にそんな専門的な判断は下せない。そうは思うものの、そ […]
日曜論壇 第105回 違いを笑う
(2022/07/17 福島民報掲載)
誰もが世界の平和について考える昨今だが、こんな時こそ日本人が作りだした秀逸なシンボルをご紹介したい。七福神である。 七福神とは、インドから大黒さま、弁天さま、毘沙門さまを招き、中国からは寿老人、福禄寿、布袋和尚が加わ […]
天真を養う 第10回 心おのずから凉し
(2022/07/01 墨 2022年7・8月号(277号)(芸術新聞社)掲載)
唐の文宗はある夏の日に学士たちと聯句を楽しみ、まず発句を詠んだ。「人皆な炎熱に苦しむも、我は愛す夏日の長きことを」。柳公権が続けた。「薫風南より来り、殿閣微凉を生ず」。他の学士も句を続けたのだが文宗はいたくこの句が気に […]
日曜論壇 第104回 北国の初夏と「宿怨」
(2022/05/15 福島民報掲載)
一九四一年四月に結ばれた「日ソ中立条約」は四年後の四月に一方的に破棄を通告され、ソ連は「連合国の参戦要請を受けた」と詐(いつわ)って八月八日に突如日本に宣戦布告した。その動きは一気呵成(かせい)で、翌九日の午前零時から […]
天真を養う 第9回 其の心
(2022/05/01 墨 2022年5・6月号(276号)(芸術新聞社)掲載)
「應無所住而生其心」 慈雲尊者「金剛経」(臨済録・金剛経・碧巌録之句 三幅のうち一幅) 紙本墨書 京都・地福寺藏 人間はあれこれ考えないではいられない存在だが、この「考え中」ほど困った状態はない。禅では「分別」「妄想」 […]
猫神さまとグロムイコ
(2022/03/12 月刊ねこ新聞 2022年3月号掲載)
昔、大学生の頃に住んでいた六畳一間のアパートに、ときおり現れるネコがいた。二階の部屋の西側の窓に現れるので、屋根伝いに渡ってくる通路があるのだろう。特に調べたこともなかったが、窓が開いていればそこからするりと半身を滑ら […]
天真を養う 第8回 心力を労せず
(2022/03/01 墨 2022年3・4月号(275号)(芸術新聞社)掲載)
一行書「不労心力」 夢窓疎石 紙本墨書 一幅 南北朝時代 東京国立博物館藏 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 『臨済録』に次のような説示がある。「心法は形無くして十方に通貫 […]
日曜論壇 第103回 たまきはる福島基金
(2022/02/20 福島民報掲載)
原発事故が起こり、主に故郷から避難した子どもや若者を支援しようと「たまきはる福島基金」を立ち上げたのは二〇一一年の八月だった。立ち上げたといっても私が籏(はた)を振ったわけではなく、県の林業会館にいた渡邊卓治さんとその […]
天真を養う 第7回 隻手
(2021/12/28 墨 2022年1・2月号(274号)(芸術新聞社)掲載)
臨済禅の道場に入門すると、まず老師から初関と言われる公案をいただく。初関とは最初の関所。これにより、禅僧としての威儀や作法だけでなく、心の在り方も習得させようというのだ。 私は「狗子仏性(くしぶっしょう)(趙州(じょ […]
特集 一期一会を考える コロナ禍と一期一会
(2021/12/15 月刊茶道誌 淡交掲載)
コロナ禍が永く続き、人との接触が控えられてきた。今も接触する際はマスクを着けて距離をとり、家族以外との会話はほとんどマスク越しになされることが多い。 そうした接触を続けていると、いわば貯金を使うような気分になってくる […]